悟りを開く道

悟りを開く道

悟りを開くと言えどもその定義をしっかりと求めるところから始めましょう。悟りとは自分自身がその状態になった時すべてを見ることができることです。仏教の言葉から引用してくるのが一番速いので、使わせてもらいますと、釈迦がたどり着いた状態が悟りを開いた状態と言えます。私は特に宗教とはかかわりないのでそのまま信じている訳ではありません。 しかし、修行の行程などは良く分り易い一例として大変貴重なお話です。釈迦は一人の人間、王子として生まれ周りに教えられ育ったのだけど、何故か世の中がおかしい事に気付いたのです。今現在の世の中も、2500年前のも相当現実と合わずおかしいのです。 しかし、それは自分がそう見えるかという事です。一般の人にとってはあまり興味がありません。一般の人は社会の中に自己を見て他人と比較し名声や金儲け、喜怒哀楽の追求にふけっています。まして悟りを開く道にはほとんど興味がないのです。 悟りへの道は険しく長い道のりとなるかもしれません。釈迦は出家して7年間で出来たという一例があります。 悟りを開けたものは釈迦だけではありません。ほかの国や文化の違った人たちもそれぞれの道をたどって同じように悟りを開くことが出来たのです。 悟りとは自然の法則に沿って身体、感情、頭脳の考えが調和しバランス良くその瞬間に全てが同時に機能している状態です。おとぎ話や迷信ではなく実際の状態のことです。またその状態はこの瞬間にしか存在しませんので悟りの状態を保存し他人に見せることが出来ません。そのためどんな本を書いても悟りを書くことは出来ないのです。悟りを開くとは自分自身の実体験でしかありません。そこに達するための方法は一例として残すことが出来ますがそれは単なる一例と見た方が良いでしょう。現実は刻々と変化しています。現実から外れると想像の世界に捕らわれてしまいます。それは悟りを開く道と正反対の方向です。悟りとは現実の中にしか存在しません。
全てを見る、信じるより五感を使い観る。からだの内外を感知し、この瞬間の状況を感じ取る。自分を見る、自分の身体、考え、感情を観る。体の隅々まで観る。
これをまとめて自覚認識(Conscious Awareness) と言います。
この自覚認識をしばらく保つことが出来ることを悟りを開いたと言います。
一度悟りを開いたらその後、継続するかと言うと最初はすぐもとの自己の状態に戻ってしまいます。 しかし、修行、訓練を重ねるごとに悟りを開いた状態を保てる瞬間が長くなります。常に注意力を自分の体に保持することの訓練から始めます。 自分の呼吸を観えない時は悟りは開いていません。呼吸だけではありませんが分り易い目安です。自分の呼吸を観ながら考えをみます。全て同時に観ます。次は感情を観ます。訓練によって感情、考え、身体の感覚の全てを同時に自分と周りの存在を観えるようになります。この状態を悟りを開いた瞬間と言えます。